先に前回までの反省の方法の追記があります。
反省の方法でなぜ、なぜ、なぜと詰めることが大切だと書きましたが、実はそれだけではないと読んだ本には書いてありました。
大切なのは、"なぜ"と詰めることに一貫性があるのか、そして詰めた結果導き出された課題克服方法が実現可能か、そして現在の社会情勢、現在の子供のマインドに効果的かを考える必要があります。
先に書いたように、"気合いと根性".そして"この子ため"と称すること根拠のない課題克服方法。
ではなぜ、昔は、いや今でもこう言うことがまかり通っているのか。
確かにそう言う指導で大成した人、そういう指導で自分は成長したという人実際にいるし、活躍してる人います。
では"なぜ","気合いと根性"の指導で大成した人いるのに今は時代にそぐわないのでしょうか。
社会情勢にフォーカスを当てるのではなく、大成した人、そのような指導する指導にフォーカスを当て考えてみます。
"気合いと根性"で大成した人は、どんな人なんでしょう。ようは"なぜ"大成したのでしょう?
ここからは、私が読んだ本を元に私見になりますので、私の言ってることがすべて正しいか、分析が合ってるかは大学教授や専門家ではないので当たっているか、事実なのかはグラデーションがあるのでそこのところは踏まえてください。
まず指導の点
指導の歴史を見てみると、江戸時代の寺子屋では問答があったと聞いています。師範が言ったことに弟子が答える。それは師範が問題を出して、弟子が答えるというものではなく、会話のキャッチボールの中で答えを導くそんな指導がなされていたのだと思います。
そして明治維新、新しい教育が叫ばれていると同時に世界に向けた戦争に巻き込まれていきます。
そうなると、兵隊として使えるように早く育成しなければなりません。
使えるように、要は教え込むです。どうすれば早くたくさん教え込めるか。
それは、1人の教官がたくさんの生徒を教え込むことが効率的になります。さらに1人が多数を"効率的"に教え込む、その手法が"恐怖"を植え付けるです。
人間恐怖があると、論理的考えより"恐怖"から逃れる考えが頭の中を支配します。
そうすると、その恐怖から逃れるには、言われたことを言われた通りに早く相手の気持ちを忖度してできるようになる。
そして教官は、そうやっていかに早く大勢の生徒が兵隊として使えるようにするかが、良い教官の"評価基準"とされます。
そうやって明治大正昭和の戦争を経験したのですが、戦後その指導が効率良いと勘違いされたままその教育方法がまかり通っていきました。
そして、時間が経って、分析をしても、その方法こそが生徒のためになる、なのでそういう指導をしている先生は"良い先生"の評価基準として長年思われてきました。そういう先生は、非常に熱いので周りは?って思って何も言えません。
(大きい声の人の意見が通りやすくなる原因もこんなところにあるのかもしれません)
一つの会社で定年まで、過度に周りの空気を読む、出る杭は、先生、もしくは周りから打たれる。
大多数の意見が正しい、一つの価値観にみんな向いている、などが常識とされているときは、そういう指導が概ね通っていたのです
しかし現代の多様性が叫ばれている時代、価値観の幅がとてつもなく広がっている現代、そういう指導が通じなくなってきてます。というか、いくら熱くなっても響かない、さらには理解できない人まで。
当然そういう指導(昭和な指導)の情勢は悪くなる一方。なぜ情勢と言ったかというと、いまだにそういう指導しているチームがあるからです。
そして、そういう指導をしていることを気づいていないチームもあります。いろんな指導本(今はYouTube かな)見てその通りやってるんだけど、言ってること、所作、進め方、接し方が全然変わってない。
じゃなぜそうなるか
次は、人の面から考えてみたいと思います。
壮大な話になっちゃって、寺子屋まででてきちゃったよ
戦争まで、あまりその辺のこと突っ込まないでくださいね。話の根幹はそこではないので。
そして長いでしょ、めんどくさいでしょう
次読まない方がいいですよ。(笑)
ちなみに、これらも受け売りです。自分なりの理解を咀嚼したつもりです