なんかね〜書いてみたら、長くなっちゃった(笑)
無理に読まない方がいいですよ、疲れるし、腹も立つことも書いてあるかも(笑)
チョー暇な人呼んでみてください
大人はよく「感謝しなさい」「有難う」言いなさいと何かあると子供に言いますよね。
1番聞くのがチームで「はい、グラウンドに挨拶して」おそらくこれはグラウンドに感謝してという意味だと思います。
実はジャガーズではチームとしてグラウンドには、あいさつしません。
なぜか、それはグラウンドは、あいさつするものではなくて、整備するものだからです。
こういうの見たことあります。子供たちがグラウンドにあいさつした後、子供がグラウンドに小さなゴミ捨ててるの、挨拶の後のグラウンド整備をいい加減にやってる子供。そんな子供にコーチは「早くグラウンド整備やっちゃいなさい」。
かける言葉違いますよね。
グラウンド整備は「早くやる」のではなく、「綺麗にやる」ことですよね。
これ以前言った、子供の育成と言いながら育成してるのでしょうか?グラウンドに感謝の意味を込めて"あいさつ"しておきながら、この行動"感謝の気持ち"あるのでしょうか、子供も大人も。
グラウンドに感謝の気持ちがあるのなら「早くやれ」ではなく「綺麗に」ですよね。
こういう風景を見ると???といつも思ってしまいます。
では感謝ってなんなんでしょう?
自分にとってありがたいことをしてもらった時なんか感謝の意味を込めて「有難う」って言いますよね。
じゃなぜ「有難う」なのでしょうか。
漢字見てください。
これは「有る事が難しい」事が起こったから「有難う」なんです。
「有る事が難しい」ってどういう事?
思いますよね。
それは、自分にとって、思いもよらない、珍しい事が起きてるという感覚なんです。
珍しい事と感じると、なんだろうとか、これってどういう事なんだろうって思いますよね。
そうすると、その事を追求しますよね。
追求して発見を得る。そうすると自分なりになんとなく納得します、もしくは次、またなんだろう、どういう事なんだろうってまた追求したくなります。
もうわかった人いると思いますが、これが「好奇心」なんじゃないかなって思います。
逆になかなか「感謝」を感じられない人はどういう人でしょうか?
それは常に起きてる事が、"当たり前"の感覚でいる人だと思います。「有る事が難しい」ことすら"当たり前"だと感じている。
じゃそういう人は、どんな気持ちで"当たり前"と思っているのでしょう。
それは常に"不満"を口にする。常に"当たり前"以上を求めるでしょ。
なので私はなるべく人がやってることを"当たり前"感覚を持たないようにしています。(自分でやること、自分に課された課題は"当たり前"と思って事に当たるようにしてます)
起きた事、特に自分に関わる起きた事は「これは特別な事なんだ」と思うようにしています。
極論になりますが例えば、朝お母さんお父さんは子供に朝ごはん作りますよね。
それ"当たり前"の感覚でいると「え〜食パンしかないの〜、ホットケーキ食べたい」こう言う不満ありがちです。
でも"感謝"の感覚を持ってると、「お母さんお父さんは朝早くからご飯作ってくれてるんだ、"なんで"作ってくれるんだろ、きっと"僕のため"にしてくれてるんだ、"なんで"してくれるんだろ。」
「あー!きっと僕のこと大事に思ってくれてるんだな、じゃー"有難う"言わないと」もしくは「お手伝いしないと」
まーこんなの極論で理想論かもしれないけど、ロジックの方向は間違ってないと思います。
サッカーで言うと、"当たり前でない感覚や思い"を持つと、前言った自分に"レッテルは貼らない"ですよね。ようは"できない"と決めつけない。
常に"当たり前"と言う感覚でいる子は、前提が"勝つ"だから、"負ける事"は行わない、"できない"と言うレッテルを貼るんです。
そうチャレンジしないんです。
さらに逆に"できる"というレッテルを貼っるとどうなるか?
あまり行きすぎると自惚れになるわけです。
とにかく"好奇心"は誰でも大切って言いますよね。
なのでその"好奇心"を育む方法の一つが「感謝」なんじゃないかなと思います。
なので、子供達には「感謝しろ」とは言いません!「感謝の気持ちを持つように」と言います。「感謝」の"しどころ"は各パーソナリティで違いますからね。そのパーソナリティは各家庭で育まれます。
そしてその感謝の"しどころ"は、当然チームでも話します。
それは最初グラウンドに"挨拶"はしないと言いましたが、実は"挨拶"します。
それは年末年始です。
子供達に今日なぜグラウンドに感謝する事がみんなにとって良いことか、切々と話して(理解したか、しないかは知りません!パーソナリティに任せてます)からグラウンドに丁寧に挨拶します。当然いい加減に挨拶する奴(笑)います。そういう奴には注意しません、なぜか、あー家庭では常に"当たり前"な感覚でいるんだろうなー、かわいそうに。そして上っ面の"有難う"を"言わせてるんだな"って思ってな〜んも注意しません。だってその子の感覚なんだもの。こう言うところで「この子の家庭はこう言う教育なんだ」ってその時はどうしても思ってしまいます。ごめんなさい!
"感謝"を無理に言わせるのあまり好きじゃありません。
(小さい子にいうのは、大切だと思います。まずは、経験、そして"有難う"の癖をつけるために。
でもね〜3年生くらい、Aチームを意識しだす年齢になっても、親が「有難う言いなさい!」言わされてる〜、そんなに嬉しくないですよね笑)
かわいそうに、その子は、それなり以上は上手くならないなって思います。あは(笑)厳しいこと言うでしょ。むかついた人ごめんなさい。
でもね、毎回グラウンドに入る時一礼するジャガーズの指導者がいます。
その指導者は、この"グラウンドが使えること""子供達に会えること"を"当たり前じゃない"と言うことがわかっているからです。俺はその人を尊敬してます。
繰り返しますがチームではグラウンドに挨拶しません。
ただし個人的に自ら挨拶する子が出る事を期待します。そう言う子は、大成するなーって思います。サッカーに限らず。
長々とごめんなさい。これが子供を上手くする手立ての一つですよ。
そしてこの感覚を持った子が、これからの世の中、"生きやすい子"になると思います。
最後に、上っ面の"感謝"じゃ無理ですからね
※よくいます、「うちの子、感謝してるじゃないですか!」と言う人、それ言った時点で上っ面じゃん(笑)
そして昨年ある保護者から言われました。
「そんな事、監督なんだから当たり前でしょ」
そんな言い草の大人どうなんでしょう。
少なくとも、子供にはそんな事言わせる指導はしたくありません!
どうしますか、子供から「親なんだから当たり前だろ!」って言われたら。
本当に長々とごめんなさい。
読んでいただいてる方、「有難うございます」
ここまで読んでいただいた事、もしくはこのブログ読んでいただいてる方に"感謝"します。
だって普通読まないよ、くだらない男の言い草である、こんなブログ。珍しい事、特別な事してもらってるんです
最後に
「有難うございます」