私は憤慨している。私が悔しい。私が屈辱的。」
サッカーをしているのは息子さんなのに、主語が「私」なのです。子どもに起きたネガティブなことをつい自分と重ねてしまう。これは毒親の方々に共通するものです。
上の文章はある、サッカーのサイトの保護者からの子供のことの相談を回答者が答えた文面の一部です。
この相談は、中学生のことではありますが、こんなことは、サッカークラブ以外でも幼稚園、小学校、他習い事ではよくあることです。いやいやよくあっちゃいけないのですが。
私もここでよく書きますが、子供に共感はしていいです、しかし同化することは、子供にとってマイナスでしかありません。
それは、なぜかというと、初めは、子供が感じたことを親が理解してくれたと子どもは喜びます。さらに喜んだ子を見て、また親は納得。
そんなことを繰り返していくと、いつのまにか子供が主体である、子供の経験がいつのまにか、子供の経験を親が主体的になってしまいます。
そうすると、子供の物事の判断は、親がすることになります。まさに毒親です。
いつも言ってますが、親子は特別な絆で繋がっています。特に母親は。こういうことになると、特に親の子供に対する欲求が言葉にしなくても伝わっちゃいます。ここでよく言う非言語的メッセージです。(前の代表はテレパシーと言っていました)
そうなると子どもは、自分の欲求に気付かなくなり、親の気持ちを忖度した子になります。なのでよく保護者からは「うちの子言うこと聞かなくて困ります」こんな声を聞くと私は安心します。
保護者の目線で困ることも、一歩引いてみたら世間では子供の言うことの方が合ってるということがよくあります。
それはコーチにも言えます。思い通りに子供が動かない、話を聞いてくれない、それらは、子供が悪いのではなく完全に指導力不足なんです。
指導力不足の私はどうしているかと言うと、原則子どもは私の言うことは聞かないと思っています。
これを原則にしていれば、言うこと聞かない子供を見ても何とも思いません。「いいなー子どもは自由で」と自分の子供のことを思い出して思い出に浸ってます。おいおい、サッカーやれよですが(笑)
子供がやりたくない時はやりません!
なのでそうならないようにしてます。
それは、子供が来た時から、気にします。声かけも気をつけてます。朝一で、荷物綺麗に並べろ!キチンと並べ!
こんなこと朝から言われたら一気にやる気なくすじゃないですか。
私は、「今日朝美味しいもの食べてきたか」「なんかいい顔してるね、今日頑張れそうだよね」
人数が多いので全員には声はかけられません。そんな時は、表情に気を配ります。なるべく笑顔でいるようにします(シワが増えるのが気がかりですが(笑))
そんなふうに子供に関わる時には、次に起こる指導のためにそんなことを考えながら朝グラウンドにいます。
皆さんも、毒親と言われないように気をつけましょう
以下読んでみてください
https://www.sakaiku.jp/series/cat_1/2024/016600.html