岩槻ジャガーズの夢は
【グラウンドを子供達の笑顔でいっぱいにすることです】
〜今までもずっと、今からはもっと〜
岩槻ジャガーズでは、1977年よりスポーツ少年団のチームとして、団員(子供達)、保護者、指導者スタッフがきれいな三角形を形成して活動しています。
それは「団員」のためにより良い指導を心がける「指導者スタッフ」、そして「団員」のためになにができるかを考えて行動する「保護者」
そして「団員」は「保護者」と「指導者スタッフ」が行ってることを“当たり前じゃない”お陰で活動ができてると考えられる“感謝”の気持ちをもち、「保護者」と「指導者スタッフ」は「団員」のための行動を相互の立場で考えられることができる、とういうチームを目指しています
「他人事」にならぬようチームのことは「自分ごと」と考えられる、団員であり、スタッフ指導者であり、保護者であってほしいと願っています
岩槻ジャガーズは、サッカー協会とスポーツ少年団に登録しているチームです。スポーツ少年団の理念にのっとり活動しています。
それは、サッカーに限らず日常にスポーツを身近なものとして生活し、健全な心と身体を維持し生涯に渡ってスポーツが生活の一部となるということを目的としています。
そのために、小学生のうちに身体を動かすことが心地よいと思えるような子供、もしくは選手になってもらいたいと考えています。
そのために目標があります。
時にはその目標が"勝つ"になることもあります。しかし、その"勝つ"にとらわれすぎないような子供であり、指導者コーチスタッフであり、保護者、そしてチームであることを大切にしていきたいと考えています
1975年 | ジャガーズの前身であるALL岩槻サッカースポーツ少年団が岩槻2番目の少年サッカーチームとして創立 |
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1977年 | ALL岩槻サッカースポーツ少年団に変わり岩槻ジャガーズサッカースポーツ少年団を設立 第3代監督、関根美智夫氏により現在の岩槻ジャガーズサッカースポーツ少団の礎を築く |
関根美智夫氏は岩槻市少年サッカー連盟設立に寄与、岩槻市スポーツ少年団指導者協議会でも数々の功績をあげる | |
さいたま市との合併時、岩槻市の代表として交渉を重ね円満に合併 さらに「岩槻に少年サッカーグラウンドを」の声のもと市、県との交渉他、嘆願書の発起人など少年サッカーグラウンド誘致に尽力される | |
1987年 | 岩槻文化公園が整備される以前に公園内河川敷に土地を市により提案される。承諾後少年サッカー関係者によりグラウンド整備を行い活動できるまでにする。 (村国グラウンド) |
その他、日独同時交流、県外のチームとの交流など岩槻ジャガーズのサッカーの活動以外にも地域活動など現在の岩槻ジャガーズの活動の基礎を築く |
1985年埼玉県スポーツ少年団県大会優勝 |
当時のクラブ(現Jリーグ)ユース、全国高校サッカー選手権大会に数々の選手を輩出 |
2019年川崎フロンターレに原田虹輝が入団 ※2021年よりガイナーレ鳥取にレンタル移籍 ※2022年よりAC長野パルセイロにレンタル移籍 |
2021年松本山雅ユースに真中裕都入団 |
原田虹輝の父、原田智宏(県大優勝メンバー)においても高校選手権、東京FCの前身東京ガスで活躍 |
岩槻ジャガーズ指導理念は関根美智夫氏により
以下3つを提唱
「継続は力なり」 |
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」 |
「一分一秒を大切に」 |
※年間約400本の動画配信
サッカーがもっと好きになるきっかけ作り
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一人はみんなのために、みんなは一人のために
さぁ、行こう!!
岩槻ジャガーズサッカースポーツ少年団
みんなが笑顔になる力をサッカーは持っている
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