先に言ったように、Bチームでは"守"である基礎をやってます。
先に言った算数の1+1のようにサッカーの基礎はサイドキックになります。(最初の基礎でサイドキックが良いのかどうかは置いといてください)
算数の時に言ったように、すぐできるようになる子となかなか足を思うように動かせない子などがでてきます。
なので、繰り返し繰り返し毎度、アプローチを変えて子供たちに基礎を訴えかけるのですが、その時です!
コーチャブルなことそうでない子がわかるのは。
実は、コーチャブルな子、そうではない子以外にもいるんです。
それは今やってることに全然興味を持てない子、懸命に聞いてくれてるのだけど、頭に入ってない子。これらの子はまだ言われたことを頭の中で自分の理解をするには、まだ幼い子なんです。
なのにコーチャブルでない子と幼い子を"話を聞いてない子"と十ぱ一絡げに「ちゃんと聞け、目を見て聞くんだよ!」こんなこと言ったことある人いるんじゃないですか。
これ言った時点で子供は聞かなくなります。聞かないんだもの、理解もできません。
(自発的に宿題やろうとしてた子に親が宿題やりなさいよと言われてやる気が失せますよね、それと同じ構図です)
おっと!横道にそれました
コーチャブルな子は、それこそコーチの目を見て必死に聞いてくれるんです。
コーチャブルでない子は、"そんなのわかってるよ、早く話終わってボールけらせてくれないかな〜"そんなメッセージが聞く態度でわかります。その態度を側からみてる大人は、聞いていない、ボールをいじってる、この子集中してないな、になる訳です。(実は、そんな子、夢中ではあるんですがね)
コーチも人間です。まー、そんな子を目の前にしたら、はらわた煮えくりかえります。
そこで先に言った、「ちゃんと聞け、目を見て聞くんだよ!」になる訳です。
はらわた煮えくりかえってるんですよ、そんなこと言っても、それ感情に決まってるじゃないですか。そしてともすると、体罰に。「話をちゃんと開いてないから」ということを言い訳に。
なので私はマインド変えてます。ここでも言っていますが、俺の言ってることなんか、聞く訳ないじゃん、つまんないし、長いし、だから、聞いていようがいまいが、おしゃべりしてようがそっぽむいていようが、構わず説明します。
でもね、中には必死に聞いてくれてくれてる子いるんです。そうコーチャブルな子です。
これ、当たり前じゃないんです。"特別"なことなんです。
なので、そういう子には、コソッと「聞いてくれてありがとう」をいう時あります。
そんな、"ありがとう"を言われた子は、次話を聞かない訳ないじゃないですか。そうやって、一人一人、時間をかけて、みんなが俺の話、聞くようになってくれたらいいな、という理想を持っています。でも一人でいいんです、一人だけ真剣に聞いてくれたら、その子のために話します。
そうなると、以下に続きます。
コーチャブルな話からちょいそれましたが、子供に関わる大人は、コーチャブルな子を好きになります。好きになると、無意識に贔屓してしまいます。
贔屓と言っても、話を聞かない子、コーチャブルではない子に不利益をこうむるのではなく、コーチャブルな子にオプションを与えてしまうことは自然なことです。
それが現実です。
「そんなの指導者じゃない」と言われそうですが!、お釈迦様やキリスト様ではないんだから。
子供に平等にと言いますが、聞く方の子供はみんな平等にコーチの言う事聞いているのでしょうか?
片方の平等ばかり叫んで自分たちは平等なマインドでいるのでしょうか。
大人は、そのこと考えて、対等に話を聞きます。(聞いてるフリします)
でもね子供はそれは無理なんです。その子の日常がどういうものか、どんなこと言われて、どんなこと"やらされてる"のか、その結果"好奇心"がどれだけ培われているかによるんです。
聞いていない子の中のまだ幼い子には、指導者は技術より学び方を教える楽しみがあるからいいんです。これからコーチャブルになるようなアプローします。
でもね〜コーチャブルではない子はねー
結論です、コーチャブルの方がいいことあるよ。そのために、常に"感謝"の気持ちを持ち、常に"謙虚'さを忘れずに、奥ゆかしく、ビューティーに、こざっぱりと、できれば髪の綺麗で長い女性が俺は好きです。❤️
ん?話が変わっちゃった(笑)
まーこんなもんですよ俺の話なんて。