子供を指導する立場の人が頭に入れておかねばならない事。たくさんありますが、以下の文章は、そのうちの一部が書いてあります。
この夏甲子園優勝した慶應義塾高校の監督がもてはやされていますが、その監督の言うことに私は、非常に共感してる自分がいる事、最近常々思っています。
世間にもてはやされるところに嫉妬なのかあまり気に入っていない自分もいるのですが、どうしてもその監督の言う事に共感して、反論したくても、できませんでした。
ならば素直に受け入れて、漠然とした考えではなく、具体的な考えとして頭に入れさせてもらおうと思いました。少しながいですがこの監督の書いた本の抜粋です。この文章には前後あるのですが、切り取ったこの部分見ただけで言いたい事伝わりました。
「少年たちは野球を楽しんでいるか」子どもの自立を妨げる親の押し付け
文武両道」を掲げる慶應義塾高校野球部を率いる森林貴彦監督の著書『Thinking Baseball 慶應義塾高校が目指す"野球を通じて引き出す価値"』。少年野球に関する部分を抜粋します。その中の表題
「少年たちは野球を楽しんでいるか/「子どもの自立を妨げる親の押し付け」を紹介します
「保護者の側にも問題がないわけではなく、そもそも子どもの力量を見誤っている保護者が多いように感じます。「うちの子の実力なら、あの高校には絶対に行けるはずだ」と思い込み、進学の際にチーム側と揉めるという話もよく耳にします。また入部後も、「なぜ、うちの子を試合に使わないんだ!」と指導者に文句を言うような、モンスターペアレント化する保護者も少なくありません。
これには、親と子の距離が近くなってきている時代的な背景が大きく影響していると思います。私が高校生の頃は、親が試合や練習を見に来ることにある種の気恥ずかしさを覚えたものですが、いまの高校生は少なくとも嫌がりはしません。もちろん時代の流れとして否定しきれない部分もありますが、親子間の距離の取り方がかなり変化しているのではないでしょうか。 いまは昔のようにきょうだいの多い家が少なく、また一人っ子の家庭が多く、親が付いてきて、子どもの野球を一日中ずっと見ているという保護者がたくさんいます。趣味は人それぞれのため否定はできませんが、どうしても「何か違う」という感覚を個人的には捨てきれません。ぁ
この親子間の距離の近さは、親が先回りして子どもの行く道にレールを敷いてしまうという問題にもつながってきます。例えば、小学6年生や中学3年生の夏にチームが負けた場合、中学や高校に入るまでの約半年の間に、野球塾に通わせる保護者がかなりいます。
子どもの野球が習い事になっているという問題は前述した通りですが、中学生や高校生でも類似する問題が起きているのです。
特に小学生に言えることですが、子どもだけで自然発生的に野球を楽しめる場をもっと作っていかなければいけません。そうでなければ、野球がどんどん硬直化したものになっていってしまうだけだと思います。
それは、指導者に対する評価も同じです。多くのメジャーリーガーを輩出するドミニカ共和国では、輩出したメジャーリーガーの数が指導者の評価の対象となりますが、日本では、甲子園で勝った指導者ほど評価される傾向にあります。これでは結局、勝ったほうがいいという流れになってしまいます。そうではなく、例えば、私立の強豪校と比較して能力はそれほど高くない選手たちを伸ばしたといったことや、将来の指導者をたくさん育てたなど、指導者を評価する視点はたくさんあるはずです。しかし現在は、全国中継される甲子園で勝つことがすべて。これではいつまで経っても、高校野球は変わりようがありません。
保護者が子どもの将来に対して、過度に期待することも大きな危険を伴います。
例えば、野球でどこまで行けるかという生き方を子どもに選ばせてしまうと、高校や大学を選択する際にも、野球がすべての基準となり、勉強がおろそかになった結果、将来の可能性や選択肢を狭めてしまう危険性は十分に認識しなければいけません。
実際に夢が叶ってプロ野球選手になれればよいですが、大学卒業後に野球を続けられなくなったとき、勉強や考える習慣がないとなると、困るのは子ども自身です。このような子どもの可能性や選択肢を狭める行為を、保護者だけでなく、各年代の指導者まで含めてやってしまっているところに野球界の問題があると思います。
もちろん、親子そろって「野球一本でやっていく」と腹を括るのも一つの選択肢ですから、真っ向から否定するつもりはありません。しかし、どこかで明確に子離れしなければ、子どもの本当の自立を促すことはできないでしょう。もし自分で何も決めないまま、年齢だけが大人になってしまうと、社会に出てもうまくいくはずがありません。例えば会社で何らかの試練があったときに、自分なりの解決策や、自分の行動に対する責任が持てず、挙げ句に上司や同僚に責任をなすりつけ、少しきついことを言われただけで「パワハラだ」と訴えるような大人になりかねないと思います。だからこそ、部活動を通して、適度にきついことを言われたり、適度に嫌な経験をしたり、挫折したりすることは絶対に必要です。
理不尽や挫折、人間関係。教室では教われないことが、グラウンドにはたくさんあります。体罰はいけないにせよ、これらをすべて否定して、何をしてもパワハラだと言われてしまえば指導者側は萎縮せざるを得ませんし、選手も社会に出てからの荒波を渡っていけなくなります。
学校に行く時期は社会に出るための準備期間です。それを小学生は小学生なりに、高校生は高校生なりに経験しておかなければ、いきなり大きな海を泳ぐことはできません。難しいことではありますが、適度に厳しいこと、適度にうまくいかないこと、適度に挫折することを経験させてあげるのが、部活指導の務めであると自覚しています。
教室では教われないことが、グラウンドにはたくさんあります。体罰はいけないにせよ、これらをすべて否定して、何をしてもパワハラだと言われてしまえば指導者側は萎縮せざるを得ませんし、選手も社会に出てからの荒波を渡っていけなくなります。」
ジャガーズではここの部分を最も重視しています。
この厳しさの基準は時代とともに変化しています。変化というより進化してます。
なぜ体罰がいけないか、暴力だから、うちの子叩かれた事なくて萎縮してしまうから、周りに通報されてしまうから、ネットに挙げられてしまうから、などなど。
まーそんな感覚で大人はいます。元々そんな指導された、そんな経験がある人は、そういうことは、必要だ、情熱が思い余って子供のことを思って、やる方はそんなふうに考えます。
視点を変えます。
実は子供をそうやって追い込むこと、少し技術は向上します。短期間で勝つチーム作る時には。
体罰がいけないと言われても何十年もたってます。
その間教育委員会が文科省が体罰はいけないといいつづけていますが、ずーっと続いてることがあります。
でも研究、統計も同時に続いてます。
ごく最近、子供の育成にも、勝つためにも、体罰、子供を追い込む指導は効果が薄いということが研究し尽くされています。
これ体罰をしてはいけない、最も重要な根拠(エビデンス)ですよね。
そこを頭に入れる、痛感しないと、体罰経験者はやってはいけないと思っても、やってしまいます。そこ理性持って違う表現で子供指導しましょうよ
そういう理性抑えられない人を、これ言うと怒られちゃいますが、そういう人はレベル低い人です
理性抑えられないことは俺にもありますが、体罰だけは、やっちゃいけないでしょう。
その体罰の定義を自分でしっかり持って事に当たらないとね
定義を持ってない人は、すぐ言い訳する、相手のせいにする。
俺だってレベル低いですが、少しでもレベル上げるために、人間として成長するために勉強しなければいけないと考えています。
再度上記の文章で俺が言いたい事載せます
「学校に行く時期は社会に出るための準備期間です。それを小学生は小学生なりに、高校生は高校生なりに経験しておかなければ、いきなり大きな海を泳ぐことはできません。難しいことではありますが、適度に厳しいこと、適度にうまくいかないこと、適度に挫折することを経験させてあげるのが、部活指導の務めであると自覚しています。
教室では教われないことが、グラウンドにはたくさんあります。体罰はいけないにせよ、これらをすべて否定して、何をしてもパワハラだと言われてしまえば指導者側は萎縮せざるを得ませんし、選手も社会に出てからの荒波を渡っていけなくなります。」
大きなこと言ってますが、言いたいのは"小学生は小学生なりに"という部分
そこだけでもしっかりやりたいと思います
しっかりとは、子供が何にでも興味を持って、主体的に小さな責任感を持って、行動できるようにしてあげたいと思ってます。