ある校長先生の話

2025年08月12日 17:38

先に「平等と公平」ということを書きました。
それについて同じようなことが載っていましたので紹介します。
いじめについても少し載っていますがここで注目すべきは"仲良くする"とは一言も言っていないことです。
仲良くしては、いじめを少なくなりません。
じゃどうするかは、またいつか



校長メッセージ ~合言葉は「子どもに軸足!」~
東長良中学校 丹羽
グローバル社会に生きる上で必要な力
いじめ克服に向かうために生徒たちは、仲間のよいところを見つけたり(敬の心)仲間の違いを受け入れたりする(恕の心)ことをHEROプロジェクトで真剣に考えています。最近よく考えることですが、この取組は、いじめ克服に向かうための取組であると同時に、「いろいろな考えがあっていい」「一人一人違いがあって当然」というグローバル社会に生きる上で必要な「多様な物の見方(思考・視点・考え方等)」
を育成する取組でもあるのではないかということです。私たちが今学校で中核に据えて取り組んでいることは、子どもたちが将来社会において幸せに生きることができるための素地、つまり、いろいろな価値観を持つ人が混じり合い、情報が行き交うような社会の中でしなやかに生きるための力をつけようとしていることなのです。
さて、話は変わりますが、最近「平等」と「公平」の違いについて考える機会がありました。より多くの人に考えていただきたい内容ですので、紹介します。
平等の「平」と「等」は、近い意味の漢字を並べた単語です。辞書によれば「偏りや差別がなく、みな等しいこと。」とあります。扱いが「同じである」ということです。つまり「何の扱い」を同じにするか
ということを付け加えて表現する必要があります。「男女」の平等、「機会」の平等などです。
一方、公平の「公」と「平」は全く意味の違う漢字が組み合わさっています。「公」とはつまり、「おおやけ」ですから、「公(おおやけ)」に見て、扱いが「平ら」である必要があるわけです。「公平な審判」とは言いますが、「平等な審判」とは一般的に言わないわけです。
平等と公平。同じようなことを言っているようで、実は大きな違いがあります。国家や地方自治体が何かしらの補助を行うとき、「平等に行う」ことと「公平に行う」ことの場合では、全く違った結果になるのです。 「平等」と「公平」を理解しやすくするために下のような画像がよく紹介されます。
「平等」とは、誰もが同じ能力だと画一的にとらえ、平均的な人物像を思い描き、等しく扱うことです。
「公平」とは、人によって能力には「差」があることを認め、
その人の能力に合わせて公正さをもって対応することです。
昔、自分が欲しかったおもちゃを友達が買ってもらったことを知ったとき、母親に対して「A君は買ってもらえていいな。
ぼくも買ってほしい。」と駄々をこねたことがあります。その時、母親は「A君のおうちはA君のおうち、うちはうち。」と全く聞く耳をもたず、歯がゆい思いをした記憶があります。これは、友達と同じではないことに対する不満の表れでした。今、振り返ると子どもの頃は、「平等」と「公平」が混在しているのだと思います。
また、 丸いケーキを家族で切り分けるとき、体の大きさ等に関係なく、正確に4つに切り分ける方法が
「平等」です。誕生日のお祝いであっても、正確に切り分けなければ「不平等」です。しかし、お祝いされる人とお祝いする人、体の大きさの違い、ダイエット中かどうか、いろいろな判断基準でそれぞれの人に相応しい大きさでケーキを切り分ける方法が「公平」です。平等を突き詰めると、それぞれの人の特性や尊厳を無視して、自分に都合よく「差別だ。」「不公平(正しくは『不平等』)だ。」と主張し、「不公平」につながってしまう危険性があります。
違いや差は時としていじめや差別を生みます。しかし、違いや差が当たり前である以上、それを認め、尊重することでしか未来は築けません。学校における共生社会の実現なくして社会の共生社会の形成は成し得ません。このことは冒頭で述べた「多様な物の見方(思考・視点・考え方等)」を育成することと

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