努力は、報われると良くいますが、本当にそうでしょうか。
使ってる背景、努力の種類によっていくら努力しても報われない場合があります。
その意味と背景、努力の種類によって、使う場面、タイミングがあると思います
(なんか長くなりそうだなー(笑))
まず「報われる」これなんでしょ
簡単にわかりやすく言うと「目標を達成する」に言い換えられると思います。
その目標の種類によって、そして捉え方によって到底報われないことがあります。
まず、その目標。
例えば、100mを11秒で走る。
これは努力と工夫でなんとか達成できます。
達成できなかったら努力が足りないって思える。
しかし、試合に勝つみたいな相手のあることを目標にしたら、相手があることなので血の滲むような努力をしたって、相手の方の努力が上だったら報わないでしょう。
小学生はさらに、上手くなりたいを目標に努力します。
上手くの定義も分からずに。
"上手くなる"は抽象的なんです。
それを具体的にうまくなる、上手くなるには、これができるようになろうって思える子がうまくなります
さらにそれができて、どうなりたいかがわかってくると、報われます。
ただし、その先を考えたら、その努力の方向が間違ってるなんて良くあることです。
いかに、遠い将来、近い将来こうなりたいって考えが持てた子がうまくなり、さらに勉強もできるようになります。
だって今の自分について具体的なこと考えられるんだもん。大人もそれ聞いたらわかりやすいでしょ、具体的なんだもん。わかりやすいから、方向が間違ってたらアドバスできるでしょ。また、そのアドバイスを理解できちゃうんだよね、少しくらい大人の難しい話をしても。きちんと背景とその大人の言ってることのピースを組み合わせて、あーこう言うことかって理解できます
こんな子が多いチームが強いんだと思います。
これは、頭がいいんじゃなくて幼さから脱却して、自分のこと、関わる物事をいろんな背景、材料を駆使して理解できるようになりつつあるんです
うちのチームはいるかなー
そんな子が試合に出てもらうとクリエイティブなプレーをするんです
そんな子がピッチに多かったら、ベンチは勝つための交通整理すれば、勝利に向かって突き進むんです。そんな試合できたら、子供の成長が加速します。
そんな感想を最近持ちました