ある程度の年齢になって、情報を持ってるとマウント取れると気がつくと、ひたすら情報を得ます。そしてみんなに「へ〜」と感心される。
しかしその感心は、心からではなく、お付き合い程度の「へ〜」。それをみんなが関心を持ってくれたと勘違い。
その勘違いが、情報を得ることが楽しくなる。ある種オタク的な要素も持ち合わせる。
これもサッカーを楽しむ一つではあります。でもそんなのはある程度の年齢になってからにしてもらいたいものです。
(大人でも、いますけど、周りが関心を持ったことにウンチク語るならいいけど、自分のウンチクを言いたくて、話題を強引に持っていく大人。そんな人は、すぐその場を離れます。)
小学生高学年は、サッカーを知ること大切です。しかしそれサッカー好きなのかな〜。その子の世間が、視野が狭くて、今やってることが全てで、いまいち納得する技術的を得られない、"上手い"子が羨ましい。その上手い子に対抗する手立てが、"知る"です。サッカーをやってる時は、敵わないけど休憩では、話題の"中心に"なったと勘違い。誰も聞いてないんだけどね。その子が喋ってても、どんどんグランウドへボールを蹴りに行って、気がついたら周りは1人か2人。こんな光景何度も見たことあります。(ちなみに大人は、一度聞き始めると"席外すと失礼"という思いが働き、お付き合いする羽目に。そこ、回避する方法身につけておいた方がいいですよ。そのうち布団買わさせる羽目に(笑))
子供はどんな気持ちでいることがいいのでしょう
ここで孔子の言葉にある
「子曰く、之を知る者は之を好むものに如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」
です。
これは、よく知っているという人は、そのことを好きな人にはかなわない。また、それがいくら好きであっても、それを楽しんでいる人にはかなわないということです。
私は、サッカーをよく知りません。そんなにサッカーは好きではありません。でも楽しいからやってます。
この孔子の言葉聞いて、ほっと胸を撫で下ろしています
サッカーよく知らないなんて、指導者にあるまじきことですよね💦
楽しみたいので、勉強はしてますのであしからず、えへ(笑)