有難いことがありました2
宿題についてもう少し
椅子に括り付けてでも宿題をやる。そんなことはやりたくないし、現実にはやりませんよね(笑)
できれば、子供が、自分から宿題を始めて、もっと言えば、もう少しやりたいなーって気持ちになってくれたら親は嬉しいですよね。
その親の嬉しい気持ちを先に立てるから「やりなさい」になるんです。子供だって宿題やらなきゃいけないなんてわかってるんです。自らやるような環境を作るのが大人の役割ではないだろうか。その"やる"という物差しを大人が決めてるのか、子供の物差しを尊重するかなんです。
ようやくナイターの話です。
なかなか始めないミニゲーム。始めるタイミングの物差しを大人が決めてるから"早くやりなさい"なんです。さあミニゲームをやらなくて困るのは誰なんでしょう。子供達はみんなミニゲームは楽しいとおもってます。周りの大人も同じこと。その気持ち共有するから、見てて面白いんです。ただ同化すると"早くやりなさい"になるんです。そんなこと言われたら、楽しいミニゲームに水を差してしまいます。
なので俺は一言も言わず始まるのを見守っていました。
でも大人の物差しの時間のほんの5分もしないうちに始まりました。その5分待てないかなー。その5分の間にも、子供達はいろいろ考えてます。せっかく脳を使って考えてる子がいるのに"早くやりなさい"で脳が中途半端に。そのときほんの少しマイナスのストレスが子供にかかってるんです。(たいしたストレスではないです)
でもその積み重ねが、たいしたストレスになっちゃうんです。
また、余計なことでした。
ミニゲームやってる時も、私は、がんばれ!良いプレイだ、ゲラゲラ(笑)、おしい!そんな言葉しかかけませんでした。
そんな時の子供達は、いつもより声が出てるんです。喜びや面白おかしかったり、人のプレイの感想だったり。ワイワイガヤガヤ楽しそうにやってました。
そこで7時55分終了の時間です。ラスト1プレイ。みんな必死にやってます。そしてアウトボール。すぐには終了とは言いませんでした。
その時、子供たちみんなが「まだまだ!」
これが子供達が楽しく、夢中で、そして真剣に自らやってる証明なんです。と言ってもほんの少しです。このほんの少しを少しずつ重ねて、
「自ら考え」「自ら判断して」「自ら決断して」「自ら行動する」この4段階を子供達ができるようにしたいんです。これが目標です。そして目的が「自立(自律)」です。
これが子供達からもらった"有難う"です。
終わる時間遅れてしまってごめんなさい💦
もしこのミニゲームを大人が、「はい、二つに分けて、はいビブス、では15分ハーフで、あー学んだことをプレイに出すように、あと声を出すように、周りに気を配り、周りをよく見て、特に高学年は試合が近いからそのこと考えてやるように」そして試合が始まると、「もっと開け、サイドキックができてないから、パスが通らないんだよ、あー今のしっかりインステップにあたってればはいったのに」こんなことよく聞きませんか?
この状態で時間になって、大人が終わり〜って言ったら、子供達は、その大人に向かってなんていいますか?「え〜もう終わりー?」一瞬やる気あるんだ!って大人は喜びますよね。
これをやめたいんです私は。
これを解説すると、大人が決めた時間で延長を求めてるんです。そして延長を決めるか決めないかは大人なんです。これで子供が「自ら判断して」「自ら決断」してるでしょうか。
大人が「宿題やりなさい」子供が「え〜」この構図に近くありませんか
今はどのチームも、担当コーチ王国(学校では担任王国)を作って"権限"と"責任"を担って活動しています。(たまに"責任"を担わない大人もいますが)
かく言う私もそうです。まともな偉そうなこと言って、これが行き過ぎると子供の主体性を奪います。何々コーチに"教われば"上手くしてもらえる。何処どこのチームに行けば上手くしてくれるし、試合に勝てる。
子供は上手くなりたい、試合に勝ちたいと思ってます。それは大人が与えてくれるものなのでしょうか。大人に任せておけばその子の(親の)思う通りになる、それで良いのでしょうか
これからの子供の育成は、現代に見合った、現代のものを使って、昔ではできなかったことができるようになる方法をとって(ようはスマホだって使っていいんです)そして全ての子が(大人ではありません)満足するような指導が必要なんです。
とてつもなく、難しくて大変です。
でも実際にそんなことが行われてる学校があります。
その学校だって、初めは大変だったと思います。
学校とは違う活動ですが、そんなことを目指してやろうと思います。
長々ごめんなさい
毎度毎度ですが、宿題のことも、目標目的も全て受け売りです💦
そんな学校の校長先生の書いた本を読んで今必要なことはこれだと共感したので、どこまでできるかわかりませんがやってみようと思いました。