「当事者意識」字面見るとなんだか難しい話?
いやいや、子供のことです。
この当事者意識を薄くしている家庭あるんじゃないですか?
はじめに言っちゃいます。
学校は、警察でもなければ、裁判所でもなければ、ケアハウスでもありません。
どういうことかというと、学校で揉め事やトラブルがあると、家庭は学校に、警察機能を求めて、裁判所での判決を求めて、ケアハウスのサービス求めがちですよね。
子供の揉め事は、子供同士で解決してあげる。そのサポートをするのが学校なんです。
「悪いことを明確」にして、「誰が原告」で「誰が被告」で「判決」を求めて「償い」させて、「受けた傷をケアしてもらう」こんなこと学校に求めてませんか?
普段はそんなこと微塵も思ってないでしょ。
しかし、なにかトラブルがあったらね。どうでしょう。
それは、常に「何かをしてもらう」姿勢でいるからなんです。
"してもらうと"それが気に入らないと文句言うでしょ。
「教え方が悪いから」「集中力がないのは、教え方が悪い」学校にもそんな側面はあるかもしれません。
しかし、家庭にも過保護、過干渉すぎる側面もあるのかもしれません。
一様に学校の"せい"にするのもどうかと
モンペって言われちゃいますよ。
モンペって思われたら、その子はモンペの子というレッテルを貼られて、そんな目で見られる不幸な子になります
学校の"せい"ではなくて、学校の"おかげ"という気持ちで接することはできないのだろうか。
"してもらう"ではなくて"自分で考える"それが学校ではなかろうか。
そして、その「自分で考える」には常に当事者意識を持っていなければなりません。
大人は「何かあったら言いなさいね」
子供は「何かあったら大人に言えば解決してくれる」
こんな考えを小さな頃から持たされた子供はどうなるんでしょうね。
子供が「自立(自律)」する。そして「みずから問題(トラブル)を解決力をつける」それが大人になるために必要なことで、最上位の目的です。
家庭が子供の「自立(自律)」ができないようにしてませんか?
「みずから問題(トラブル)を解決する力」を阻害してませんか?
学校もチームも「自立(自律)」する。そして「みずから問題(トラブル)を解決する力をつける」を目的とするしています。
悪いことが蔓延するのは、早いけど、子供達が学びを得ることはかなりの時間を要します。
と偉そうなこと言って......大したことはありません
毎度毎度、私が聞いて読んだ話です。